日本ラカン協会
ホーム
設立趣旨
  規 約・役員
入会方法
理事長挨拶
年次大会
研究会
Workshop
  講演会
 会務報告
  事務局報告
 これまで の活動
論集 『I.R.S.』
研究文献目録
 Link
 連絡先
E-mail
年次大会

日本 ラカン協会第19回大会

 開催日時:2019年12月8日(日)  10:00〜18:30
 場所:専修大学神田校舎7号館731教室(3F)
     (〒101-8425 東京都千代田区神田神保 町3-8)
 交通: 営団地下鉄・神保町駅 徒歩3分
 大会参加費 :無料

1.    研究発表 10:00〜12:00(発表時間30分 質疑応答15分)

 10:00〜10:45 森 綾子(護国寺こころの森相談室)
         「ふつうの精神病」の一症例
        司会:牧瀬 英幹(中部大学)

概要:発表者は、離人感や「取り返しのつかないこと」をしてしまったと訴える、あるサラリーマンと面接を行った。この主体の言う「取り返しのつかないこ と」は必ずしも明確ではなく、それを巡って面接が進んだ。そしてそれが同定されるに至った時点で、この主体の構造について明確に捉えることができるように なったと考える。この「ふつうの精神病psychose ordinaire」の症例報告を通して、このような主体のあり方について考えてみたい。

*この発表に関しましては、個別的なケースに関わる報告が予定されておりますため、聴講者の皆様には、守秘義務が発生しますことをご理解いただき、その遵 守をお願い申し上げます。

 11:00〜11:45 上尾 真道(京都大学人文科学研究所)
         フロイト的ダイモーンの二つの相貌
                               ーー1910年代神経症論の再訪
        司会:佐藤 朋子(金沢大学)

概要:本発表では主に1910年代までのフロイトの神経症論の再検討を行う。とりわけ転移神経症とナルシス神経症の差異および関係をめぐってフロイトが繰 り広げた思考の図式を整理した上で、これをフロイトが当時没頭した進化論的思弁との関連のもとに考察したい。加えて、フロイトにおいてすでに開かれたこの 論点が、その後の精神分析と哲学(特にフランス哲学)の思想的交流に反映されている仕方についても、ひとつの視点を提示することを目指したい。

2.昼休み 12:00〜13:30

 *この時間に理事会が開催されますので、理事の皆様はご参集下さい。

3.    総会 13:30〜14:15

 @議長選出
 A会務報告 論集刊行に関する報告など
 B決算(2018/2019年度)審議
 C予算(2019/2020年度)審議
 D次年度活動計画について

4.シンポジウム 14:30〜18:30

  詳細は 以下をご参照下さい。


※ なお、大会終了後、有志による懇親会を予定しております。
 お時間に余裕のある方は、こちらの方にもぜひご参加ください。



日本ラカン協会

第19回大会シンポジウム
フロイディスムと哲学

日時:2019年12月8日(日) 14:30〜18:30
  場所:専修大学神田校舎7号館731教室(3F)
(〒101-8425 東京都千代田区神田神保町3-8)
交通: 営団地下鉄・神保町駅 徒歩3分
大会参加費 :無料

提題者:
原和之(東京大学)
藤本一勇(早稲田大学)
中山徹(一橋大学)

司会:
立木康介(京都大学)

 「フロイディスム再考/再興」を年間テーマとして掲げた今年、日本ラカン協会では大会シンポ ジウムのテーマとして、哲学がフロイディスムに対して、あるいはフロイディスムが哲学に対して持ちえたインパクトを取り上げる。
 20世紀フランスにおける精神分析と哲学との関係は、ま さにフロイディスムの「再考」と「再興」が問題となったトポスであった。想像的な全体性を志向する限りにおいて「哲学」を峻拒したフロイトだが、その思想 のフランス的展開においてはラカンがフロイトへの回帰を標榜しつつその理論化の要所において哲学を繰り返し参照した一方で、哲学者の側でもフロイトとその 後継者たちのテクストと思想は注意深い再読と検討の対象となってきた。時に批判的な相互参照のダイナミズムは、同時代そして続く時代の思想的運動の中に織 り込まれ、遠く現代のわれわれにまで届いている。本シンポジウムでは、三人の提題者の提題と議論を通して、フロイトを哲学との関わりで「再考」することが その「再興」を支え得たフランスの事例を参照すると同時に、その引き起こした波紋が地理的あるいは時間的な距離を超えて広がってゆくさまをたどることに よって、現在において可能なフロイディスムの「再考」と「再興」のかたちを探ってゆく。



「哲学」の複視(ディプロピア):バディウによる「ラカン」 
 原和之(東京大学)

 精神分析の哲学への関係は、一種の複視(ディプロピア) によって特徴づけられる。これはつまり、精神分析が哲学に対して二重の輪郭を与えるのを常としてきたということだ。そもそもフロイト自身、体系構築的なも のたる限りでの哲学が科学としての精神分析との間に持つ隔たりを強調する一方で、その議論のなかでは哲学者を参照することを決して躊躇わなかった。ラカン はより明示的に哲学の議論に依拠し、その認識論的な方向性を批判しつつもこれをいわば積極的に「読み違(たが)える」ことによって精神分析の理論を構築す る。こうして精神分析の側には哲学をとらえる一定の枠づけが存在し、そうして枠づけられた「哲学」との距離こそが精神分析に構成的である、という事態が成 立していたわけだが、哲学者の側からはこの事態について、当然別の見方が存在しうる。
 本提題では、これを最も明確に言い表したアラン・バディ ウのラカンについてのセミネールを主たる参照先としつつ、彼による哲学と精神分析の関係の再分節化の作業を振り返り、その現代的な意義を検討する。

デリダにおける「精神分析的なもの」
 藤本一勇(早稲田大学)

 デリダの脱構築思想において精神分析が重要であることは 昔から指摘されてきたし、デリダ自身、精神分析に関する多くの文章を書いている。大きな哲学者を論じるにしても、一見些細なテクストの細部や文言から出発 して(場合によっては「揚げ足取り」と見える仕方で)、当の哲学主体が隠し持つ「哲学的欲望」(その普遍的構造が「現前の形而上学」である)を抉り出して いく手法は、精神分析のそれに通じるところがあるだろう。
 本提題では、そうしたデリダ哲学における「精神分析的な もの」(「精神分析」そのものではなく)のいくつかのモチーフを軸にして、彼の脱構築思想と精神分析との関係を考える。主要なモチーフとして、〈徴候=症 候〉としてのテクスト、事後性(起源・出来事とポスト出来事との関係)、憑在的主体の倫理、等を選択し、デリダにとっての精神分析の「インパクト」を検証 してみたい。

ジジェクと死の欲動――イデオロギー理論から弁証法的唯物 論へ
 中山徹(一橋大学)

 スラヴォイ・ジジェクを中心とするスロヴェニア・ラカン 派(他にはM・ドラー、A・ジュパンチッチがいる)は、三つの領域においてその本領を発揮している。第一に、政治理論(例えば、欲望のグラフに基づくイデ オロギー理論の構築)。第二に、哲学的省察(精神分析概念を用いたカント、ヘーゲル、マルクス、等々のラディカルな読み直し)。第三に、文化分析(映画や 文学をめぐる解釈学への精神分析の導入)である。フロイト的概念はどの領域においてもきわめて重要な役割を果たしている。シンポジウムではそのありよう を、ジジェクによる「死の欲動」の再理論化(最終的にそれは彼の「弁証法的唯物論」につながる)に焦点を当てながら考察したい。

以上



  過去の大会について(※以下、別ウィンドウにて開きます)