日本ラカン協会
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年次大会

日本 ラカン協会第17回大会プログラム

 日時:2017年12月17日(日)  9:00〜18:30
 場所:専修大学神田校舎7号館731教室(3F)
     (〒101-8425 東京都千代田区神田神保 町3-8)
 交通: 営団地下鉄・神保町駅 徒歩3分
 大会参加費 :無料

1. 研究発表 9:00〜12:00  (発表時間30分、質疑応答15分)

 9:00-9:45 松本 智憲(京都大学大学院 人間・環境学研究科)
         ラカンの精神分析における人種・ジェンダーへの視点
         フランツ・ファノンの精神病理学を中心に
                    司会:松本 卓也(京都大学)

概要:本報告は、1950年代ラカンの影響を強く受けた黒人精神分析医であるフランツ・ファノンの精神分析の理論的な再評価を試みる。ファノンは、 1925年のフランス領マルティニックに黒人として生まれ、フランスのリヨン大学医学部で博士号を取得し精神科医となったが、植民地出身であったために本 国での人種差別に苦しんだ。その経験を背景に、ファノンは精神分析医となり、特にラカンのパラノイア心因論や鏡像段階論に強い影響を受けて、帝国内部での 人種やジェンダーなど社会的差異に基づく差別で生まれる精神病理の解明を目指していた。ファノンは、ラカンの精神分析を、肌の色や社会的性差といった身体 論を軸に発展させたのである。本報告は、こうした彼の功績をフランス精神分析の中に位置付けることを目標とする。

 10:00-10:45 工藤 顕太(早稲田大学大学院博士課程)
           〈父の名〉をめぐる問いと精神分析の大義
           司会: 立木 康介(京都大学)

概要:1964年、IPAからの「破門」をうけたラカンは、一度きりのセアンスをもって中断された『父の名』のセミネールに続いて、まったく新たなテーマ 設定のもとで、『精神分析の四根本概念』のセミネールを開始するに至る。そこで本発表では、まず、両セミネールにおいて共有されている根本問題、すなわち 「精神分析の父」としてのフロイトのポジションをめぐる問題を、ラカンの〈父の名〉にかんする理論との関係から浮き彫りにする。そしてそこから、「欲望の 原因‐対象a」、「科学の主体」、「知を想定された主体」、「精神分析家の欲望」といった、60年代の理論形成において重要な位置を占めるタームの射程を 明らかにすることを試みる。

 11:00-11:45 萩原 優騎(東京海洋大学 学術研究院海洋政策文化学部門)
                        「エディプス以後」を議論の前提としてよいのか
                       社会学の視点からの考察と問題提起
                       司会: 福田 大輔(青山学院大学大学院)

概要:「エディプス以後」を論じるとは、どのようなことなのだろうか。そもそも、「エディプス以後」を自明の前提として、議論を開始することは妥当なのだ ろうか。本発表では、以上の点について、社会学の観点からの問題提起を行うことを目的とする。ラカン派のスラヴォイ・ジジェクは、社会学の領域で「リスク 社会」と形容される状況との関連で、「エディプス以後」について検討している。ジジェクの考察では、現代においては再帰性の増大に伴って、大文字の他者の 失墜と呼ばれる事態が生じているとされる。ここで述べられていることを、ジジェクが主として批判的に言及している「リスク社会論」の論者たちの視点から捉 えなおすことで、何が見えてくるだろうか。そこにあるのは、認識主体と集団もしくは社会との関係についての問いである。この関係を検討することで、精神分 析において「エディプス以後」を論じることの意義や課題が、より明確になると考える。

2. 昼休み  12:00〜13:30

 *この時間に理事会が開催されますので、理事の皆さんはご参集ください。

3. 総会  13:30〜14:15

 @ 議長選出
 A 会務報告… 論集刊行に関する報告など
 B 決算(2016/2017年度)審議
 C 予算(2017/2018年度)審議
 D 次年度活動計画について

4. シンポジウム 14:30〜18:30

エディプス以後

提題者
原和 之(東京大学) 山森裕毅(大阪大学) 若森栄樹(獨協大学)

司 会
福田 大輔(青山学院大学)


※ なお、大会終了後、有志による懇親会を予定しております。
 お時間に余裕のある方は、こちらの方にもぜひご参加くだ さい。



日本ラカン協会
第17回大会シンポジウム
エディプス以後

2017年12月17日(日) 14:30-18:30
専修大学神田校舎 7号館731

提題者
原和之(東京大学) 山森裕毅(大阪大学) 若森栄樹(獨協大学)

司 会
福田大輔(青山学院大学)

趣意文:エディプス以後

 日本ラカン協会は今年度の活動の軸として「今日のエディプス」を掲げ、夏には「精神病におけ る〈父〉の問題」、秋には「エディプスと女性的なもの」と題されたワークショップを開催し、そこでの成果を踏まえたうえで、年次大会においては「エディプ ス以後」と題してシンポジウムを企画した。
 ラカンは「フロイトへの回帰」を推し進めたあと、不安の セミネール(1962−63)を皮切りに、フロイトとの差異を深く意識させるコメントを残すようになった。そこでは「神経症の最終的な行き詰まりを構成し ているのは決して去勢不安そのものではない」 (1)と述べるばかりではなく、「フロイトは、精神分析は男も女も渇きの状態に置くと言っています。男は去勢不安の場に、女はペニス羨望の場に置かれるの です。しかし、それが絶対的限界というわけではありません。それは、フロイトとの間で終わりになった分析の限界点です。」(2) とまで踏み込んでエディプス批判を素描している。
この批判を可能にしたのは、対象aの概念化であり、ファル ス・転移・同一化・幻想といった基本概念のトポロジー的読解であった。この概念の練り上げにより、フロイトの臨床的限界がラカンによって明瞭に把握される ようになったのだろう。ラカンのエディプス批判は1970年代のセミネールを通じて様々なかたちで表現され、四つのディスクールや性別化の定式の提示につ ながり、さらにはボロメオの輪による象徴界・想像界・現実界の再解釈となっていく。
 こうしたラカンのフロイト読解とは異なるエディプス批判 を展開した著者たちも存在する。その視点をラカンの視座との差異において検討するのがシンポジウムの目的のひとつである。また、非常に抽象度の高い議論を いかに日本語で語るのか、「日本の生活の根幹が無時間的な沈黙という表現法で成り立っている事実」(谷川雁)を直視したうえで、ラカンの精神分析をどのよ うに日本の文脈で語るかという問題は、本シンポジウムの参加者にも課せられた問いである。
 
 皆様のご参加を心よりお待ちしております。  (福田大輔)

(1) ジャック・ラカン『不安(上)』ジャック=アラン・ミレール編、小出浩之・鈴木國文・菅原誠一・古橋忠晃訳、岩波書店、2017年、68-69頁。
(2) 同上、145頁。

−提題概要−

ンデンブ族の医師によるスキゾ分析
山森 裕毅(大阪大学COデザインセンター)
ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは『アンチ・オイ ディプス』(1972年)という著作を公刊し、そのなかで彼らは〈スキゾ分析〉という分析法の考え方を提案した。これはオイディプスをはじめ、ナルシシズ ム、去勢、家族、解釈といった概念群に固執することで資本主義に加担する精神分析の在り方とは異なる、社会的・政治的・闘争的な精神分析だと主張される。 この著作は大きなインパクトを与えたが、公刊後およそ50年を経ようとしている現在においても、スキゾ分析を臨床実践として用いる者を私は知らない。そも そもスキゾ分析は実践可能なのか。可能だとすればそれはどのような実践となるのか。この問いを探求するために、本発表では人類学者ヴィクター・W・ター ナーの論稿「ンデンブ族のある熟練医師」を扱う。というのも、『アンチ・オイディプス』のなかでスキゾ分析の実践例としてこのンデンブ族の治療儀礼が言及 されているからである。本発表はこの治療儀礼を考察することでスキゾ分析の実践性を明らかにすることを目指す。

性の多様性に向き合うラカン:「もう一つのエディプス」から出発して
原 和之(東京大学大学院総合文化研究科)
 性の多様性をめぐる議論における精神分析の位置は両義的 である。これはまず同性愛の問題に関してフロイト自身が開明的な態度を取ったのとは対照的に、彼のアングロ−サクソン世界における後継者らが、むしろこれ を病理化する方向に向かったためである。この後者の傾向は長い間続いたが、1990年代末から2000年代初頭にかけて「健康で成熟した同性愛者」(R. Roughton)が存在するという主張が公然と行われるようになり、また長い議論を経てIPAにおける反差別ポリシーに「同性愛的性向 (homosexual orientation)」が明示的に含まれたことによって、精神分析と多様な性の関係は大きな転機を迎えたといえる。
 これに対してラカンは1950年代にすでに同性愛を「治 療」しようとしない臨床で知られ、また1970年代には「性別化」の議論によって性を言語的ないしシニフィアン的な関係のほうから定義するという構想を示 して、生物学的なものへの還元とは一線を画した議論の可能性を開いていた。しかしあくまで彼が生きた時代の状況への応答として、そこには一定の制約がある ように見える。そこで本提題ではこの「性別化」の議論から、その背景にあると思われる1950年代のエディプス・コンプレックスの再定式化にまで遡る、い わば概念的なリバースエンジニアリングの試みを出発点として、そこから今日問題となっている性の多様性を受け止めうる理論を構築する可能性を探ってゆく。

精神分析の目的=終わり〔les fins〕について(日本における精神分析の可能性)
若森 栄樹(獨協大学名誉教授)
 比較的最近になってようやくフロイトの最後の著作『人間 モーゼと一神教的宗教』とはどのような本だったのかが解明されようとしている。「ユダヤ人」としての自己のアイデンティティーを決して否定しなかったフロ イトが精神分析に求めたものは結局のところ何だったのか。そのような観点から私は本発表で、精神分析とはどのようなものなのか、また、それが日本でどのよ うな役割を果たせるかを考えてみたい。そのための参照軸としてはラカン理論のセミネール「倫理」「転移」、「不安」や、現在翻訳を進めているデリダ『絵葉 書』を取り上げる予定。



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