日本ラカン協会第9回大会プログラム
日時:2010年12月5日(日)
10:00〜17:00
場所:専
修大学神田校舎7号館731教室(3F)
(〒101-8425 東京都千代田区神田神保
町3-8)
交通: 営団地下鉄・神保町駅 徒歩3分
大会参加費 : 無料
◎12月5日(日)
1. 研究発表 10:00〜12:00 (発表時間30分、質疑応答15分)
10:00-10:45 萩原
優騎(日本学術振興会特別研究員PD)
「生命倫理をめぐる諸問題への精神分析的アプローチの可能性
――脳死・臓器移植問題を中心として――」
司会: 福田 大輔(青山学院大学)
概要:生命倫理学では、「パターナリズムか
らインフォームド・コンセントへ」という主張が展開され、医師と患者の関係性の見直しか図られてきた。しかし、患者に選択肢の多様性が認められ、様々な医
療行為へのアクセス権が生じたということを、無条件に肯定してよいのだろうか。そもそも、患者の「自己決定」とは何かということについて、詳細に検討する
必要がある。そして、患者が置かれている状況や周囲の人々との関係も含めて、問題を捉えなおす必要があるだろう。この点については、生命倫理学においても
議論の蓄積があるが、精神分析の視点を導入することによって、さらなる考察が可能であると思われる。今回は、脳死・臓器移植の問題を中心に、そのことを考
えてみたい。
11:00-11:45 向井 雅明(精神分析相談室)
「精神分析とニューロサイエンス ダマシオを巡って」
司会: 磯村 大(金杉クリニック)
概要:現代ニューロサイエンスは、人間の「考える」という
活動に対して、生理学的な脳にその能力の根拠を見い出そうとしている。人間の思考の動きのすべてを、脳の科学的な反応として説明するこうした「科学」は、
現代の科学への信仰に近いような社会的風潮のなかでたいへんにもてはやされている。
このような考えの根底には、人間を一個の機械とみなそう
とする素朴な唯物論がある。それにたいしては正当な批判を加えるべきだし、実際にいくつかの批判が哲学、精神分析の分野から行われているが、実は神経科学
者の中にも、思考を脳の問題に還元する傾向に反対する主張をもつ者がいる。その一人がアントニオ・ダマシオである。このダマシオと関連して精神分析と脳科
学の関係を論考してみたい。
2. 昼休み 12:00〜13:00
3. 総会 13:00〜14:00
@ 議長選出
A 会務報告… 論集刊行に関する報告など
B 決算(2009/2010年度)審議
C 予算(2010/2011年度)審議
D 次年度活動計画について
4.
協会創立十周年記念シンポジウム 14:00〜17:00
〈 ラカン思想とその現代的展開 〉
司会 : 川崎 惣一 (北海道教育大学釧路校)
提題者 : 原 和之 (東京大学)
「トポスとロゴス―ラカンにおける言語観の転回」
提題者 : 立木 康介 (京都大学)
「00年代のラカン派」
提題者 : 布施 哲 (名古屋大学)
「現代政治理論におけるラカン
〜E・ラクラウの民主主義理論を中心に〜」
提題者 : 中野 昌宏 (青山学院大学)
「言語の経済/経済の言語」
コメンテーター : 若森 栄樹(獨協大学)
伊吹 克己(専修大学)
各提題30分、議論・質疑応答60分
※ 提題梗概 ※
トポスとロゴス―ラカンにおける言語
観の転回
原 和之 (東京大学)
ラカンが既存の諸学の議論によってさまざまな補助線を引
き
ながら成し遂げようとしたのは、主体と独立して存在する操作の対象ないし「道具」としての言語から、主体がその中で、或いはそれとの関わりで自らを位置づ
けることが問題になるような「場所(トポス)」としての言語(ロゴス)へという言語観の転回であったと考えることができる。本提題ではこうした観点を提示
した上で、それが理論と実践において持ちうる帰結を考察する。
00年代のラカン派
立木 康介(京都大学)
本シンポジウムの趣旨には沿わないかも知れないが、ラカ
ン
の「思想」ではなく、ラカン派の「精神分析」について報告したい。ラカンを「思想」として受容するのではなく、あくまで「実践」として経験する人々がいな
ければ、日本におけるラカン研究にはいかなる未来もない。
フランスのラカン派精神分析のアクチュアリティに、主に
二つの観点からアプローチする。1/内部抗争(学派分裂)から外部との闘争へ。2/「応用精神分析」の前景化。これらの現象は不可分に絡み合っており、そ
の同時性は必然的である。そこから浮かび上がるのは、今日の私たちがいかなるAと向き合い、いかなるS1に従属させられているかということにほかならな
い。
現代政治理論におけるラカン〜E・ラクラウの民主主義理
論
を中心に〜
布施 哲 (名古屋大学)
ラカンの精神分析理論ならびに概念装置が、患者個人に対
す
る治療実践のみならず、人間社会のイデオロギー分析に対しても有効な補助線たり得ることは、すでに多くが認めるところであるだろう。しかし、それが現代政
治理論、とりわけ政治変動のダイナミズムを分析する際に中心的な役割を果たしている例はといえば、おそらくエルネスト・ラクラウのラディカルデモクラシー
論をおいて他にはないだろう。敵対性(antagonism)を軸にした彼の民主主義理論を概観しつつ、ラカン理論の射程を再考したい。
言語の経済/経済の言語
中野 昌宏
(青山学院大学)
「無意識には否定がない」というフロイトの見解と,「無
意
識はひとつの言語のように/として構造化されている」というラカンの教説とを,われわれはどう整合的に理解することができるのだろうか。この問題のヒント
になるのは,人間がある種の捩れたロジックに基づいていることを示す「行動経済学」の知見かもしれない。本報告では,その分野の研究成果や考え方を紹介
し,無意識の中で駆動している論理のあり方について,報告者の仮説を提示してみたい。
5.
懇親会(会費:5,000円) 18:00〜
於 中華料理 東方園
東京都千代田区神田神保町2-4-7 九段富士ビル B1F
TEL : 03-5226-5108