特別企画

 

フェレンツィ生誕150年シンポジウム
フロイトとの終わりなき対話

9月2日()・3日()開催
フライヤー

Ferenczi 150th Anniversary Symposium
Never-ending Dialogues with Freud
September 2 & 3, 2023

Dialogues sans fin avec Sigmund Freud
Symposium commémoration du 150e anniversaire de Sandor Ferenczi
Les 2 & 3 septembre 2023

シンポジウム「フロイトとの終わりなき対話」企画委員会

【概要】
本企画では、精神分析の理論と実践を、フロイトとの終わりなき対話の営みとしてとらえなおすことを目指す。その際に出発点となるのは、「精神分析運動における制度と政治」と「最初期の精神分析運動の歴史的内実」という二つの問題である。もしも精神分析の本質がフロイトとの対話にあるとしたら、このことは精神分析を制度によって規定し、分析家をひとつの職業として成立させるという目論見にとってどのような意味を持つだろうか。突き詰めてみればこのテーマは、精神分析を制度的な規定が困難なものとみなすこと、そして分析家を「不可能な職業」とみなすことを含意するのだろうか。このように本企画の企図は、その運動史を精緻に追いかけることはもちろん、制度や政治の問題をも引き寄せずにはおかないのである。

 われわれの重要な参照項となるのは、ハンガリーの分析家フェレンツィ・シャーンドルの生と実践である。ジル・ドゥルーズによってその功績が再発見された精神分析の「恐るべき子ども」は、最初期の運動における最重要人物の一人として、まさしく父フロイトとの終わりなき対話を生きた。そして、フェレンツィの場合に限らず、精神分析の歴史が進展する時にはいつでも、制度と政治をめぐる諸問題があらためて浮上してきたのだった。フェレンツィの生誕150年を機にこの運動の歴史を顧みる本企画では、研究者と臨床家の別を問わず、また学派の枠を超えて、精神分析の本質をめぐる「終わりなき対話」をあらたに試みたい。

【日時】
2023年9月2日(土)、3日(日)
10:00〜18:50(50分の昼休憩あり)

【会場】
早稲田大学戸山キャンパス33号館第一会議室
※無料、予約必要なし
オンライン配信あり(オンライン参加に限り要予約:予約はこちらから)

【プログラム】
9月2日(
ワークショップⅠ『精神分析における制度と政治』
10:00~10:50 氏原賢人「精神分析の超越論的技法論」
11:00~11:50 工藤顕太「精神分析の症状」
12:40~13:40 討議、質疑応答(司会、特定質問者:鹿野祐嗣

個人発表Ⅰ『フロイトとフェレンツィの歩み』
13:50~15:00 細澤仁「フェレンツィの技法改革をめぐって」
15:10~16:20 比嘉徹徳「プロセスとしてのテクスト——新・批判版『快原理の彼岸』について」
16:30~17:40 森茂起「確信・想起・同一化——フェレンツィによる精神分析の再概念化」

17:50~18:50 全体討議

9月3日(
ワークショップⅡ『最初期の精神分析運動をめぐって』
10:00~10:50 井上卓也「実践のひそかな変遷——欲動理論の第二段階とその余波(1909-1921)」
11:00~11:50 佐藤朋子「憎しみの回帰はなぜに——フロイトとフェレンツィ、二人のユダヤ人の対話」
12:40~13:40 討議、質疑応答(司会、特定質問者:上尾真道

個人発表Ⅱ『フロイトの遺産とその未来』
13:50~15:00 奥寺崇「言葉の混乱——私たちがたどった道のり」
15:10~16:20 飛谷渉「フロイトのレオナルド論と未完のヒステリー理論の行方」
16:30~17:40 立木康介「〈委員会〉/カマリラ──フロイト的「対話」の夜から」

17:50~18:50 全体討議

※ワークショップについては、各登壇者の発表(50分)ののち、特定質問者を交えて共同討議・質疑応答(60分)を行う。
※個人発表は、それぞれ発表50分・質疑20分を予定。なお、発表順と発表題目は未定。

【主催】
日本ラカン協会
早稲田大学文化構想学部表象・メディア論コース

【協力】
東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属 共生のための国際哲学研究センター(UTCP)

【各ワークショップ・個人発表の概要】
ワークショップⅠ『精神分析における制度と政治』
氏原賢人(東京大学)
工藤顕太(早稲田大学)
鹿野祐嗣(神戸大学)
精神分析家なる職業について問うてみよう。すなわち、精神分析を職業とするとはいかなることか? このとき私たちが思い起こすのは、ジュディット・デュポンが、かの「恐るべき子ども」について語っていた言葉だ。
「フェレンツィがそのすべてを突き崩した防衛とは、フロイトが、前に進むための安全を確保し、精神分析の理論体系を構築するうえでの守りとなったものである。ゲリラの第一の課題は生き延びることであろう。フロイトが自らを守らざるをえなかったのに対し、フェレンツィは、防衛をそこまで完全に手放そうとしたために、自らの命でその対価を支払うことになったのだろう」。
デュポンの言葉を真剣に受け取るなら、精神分析の理論と技法は、分析に関わる人々が——まずは分析家が、そしておそらくはアナリザンドも——「生き延びる」ための生命線をなしていることになる。だとしたらそれは、病者が治癒し、生きていく方途を切り開く精神分析の実践にとって、欠くことのできないものだ。
では、それにもかかわらず、精神分析の歴史のうちでしばしば既存の理論や技法に対して——そしてなによりも、それに保証を与える権威や制度に対して——挑みかかるようにして新たな思考が芽吹き、分析家たちを駆り立ててきたのはなぜだろうか。その命がけの実験によってフェレンツィは最愛の「父」フロイトに別れを告げ、孤独のうちに斃れたのみならず、精神的破綻の疑いをかけられ、長らく精神分析の正史から姿を消した。そしてその約30年後に
ラカンは、「短時間セッション」と呼ばれる「積極的」な技法を問題視されたことで訓練分析家としての活動拠点を失い、IPAからの「破門」をもって制度に対する闘争を先導する運命を引き受けることになった。
本ワークショップで追い求められるのは、制度と政治をめぐる、すなわち分析家とアナリザンドの生と死をめぐるいくつかの問題系である。そしてそれらは、ひとりの主体がみずからの規格を超えるものに揺さぶられ、それと共振しながら自身の固有性を絶えず作り直し、生きながらえさせるというこのうえなく困難な課題の方へと、私たちの思考を差し向けている。

フェレンツィの技法改革をめぐって
細澤仁(フェルマータ・メンタルクリニック)
フェレンツィは、精神分析の祖であるフロイトに最も愛された弟子であり、正統な後継者と目されてきた。しかし、彼は「精神分析の反逆児」であった。彼は、日々の精神分析実践を通して「精神分析とは何か?」「精神分析家とは何者か?」という事柄を自らの内側で徹底的に考え抜いた。そして、フロイトに「治療狂」と揶揄されていたフェレンツィは、困難な患者との精神分析のなかで、技法改革を推し進めた。
フェレンツィの技法改革は、まず「積極技法」、「リラクセーション技法」と展開していった。しかし、フェレンツィ自身も認めているように、それぞれの技法には臨床的意義もあるのだが、固有の問題を含んでいることが明らかとなった。その後、フェレンツィの技法改革は「相互分析」と「大実験」という形で展開していった。しかし、これらはそもそも実施困難な(不可能と言ってもよい)技法であり、その臨床意義に関しては今なお十分に検討されていない状況である。
本発表では、フェレンツィの技法改革の歴史を概観した上で、特に「相互分析」と「大実験」の臨床的意義について論じるつもりである。

プロセスとしてのテクスト──新・批判版『快原理の彼岸』について──
比嘉徹徳(専修大学ほか)
本発表ではフロイトの新批判版『快原理の彼岸』を検討する。フロイトの往復書簡の編者であるM. シュレーターと、ベルリンの精神分析家U. マイは、『LUZIFER-AMOR』誌上で新たな批判版『彼岸』を発表している。この試みによって、『彼岸』の手書き第一稿が初めて活字化されるとともに、第二稿での大幅な加筆(大部分は現行のVI章全体を含む)および最終の改訂版までが可視化されている。『彼岸』の第一稿には「死の欲動」がまだ存在せず、一年後の第二稿でようやく登場することは書誌的な事実としては以前から知られてきた。しかし、明確に編集文献学的な意図をもって構築されたシュレーターとマイの新批判版『彼岸』は、加筆部分を含めた6つの加工段階を可視化し、テクスト生成の過程を初めて跡付けている。マイは、この緻密で骨の折れる批判版の作成を経て、『彼岸』執筆過程の年代推定と、フロイトの伝記的事実との関連の有無について一定の結論を下している。さらにマイは、反復強迫を論じた第一稿にこそ『彼岸』の核心があると解釈し、死の欲動を含む加筆部分については批判的に評価している。本発表では、この新批判版『彼岸』とマイによる解釈を検討するとともに、フロイトのテクストをめぐる歴史と最近の動向にも触れる予定である。

確信・想起・同一化:フェレンツィによる精神分析の再概念化
森茂起(甲南大学)
フェレンツィにとって、確信convictionは、彼の臨床実践を長く導いてきた概念だった。彼は、1913年の国際精神分析学会における発表で、自由連想に対して行う分析家の解釈を受身的に受け入れるのではなく、主体的にその正しさを「確信」することを治療の目標とした。それは、分析家の解釈の受け身的受容から主体的な姿勢への転換を意味した。しかし、晩年の分析実践において、「確信」に別の意味が与えられる。それは、分析家の解釈全般ではなく、外傷的出来事の存在への確信である。フェレンツィは、その意味での確信に至るプロセスを症例に即して検討し、解釈によって生じた夢見、外的情報の受容、確信、そして性被害場面の想起というプロセスを記述する。この確信から想起へのプロセスは、治療者にとって、精神分析の治療構造が持つトラウマ性の理解を伴っていた。フェレンツィは、近年の研究で明らかになっている、トラウマ的出来事に動機付けられたために生じた精神分析の構造に批判的な目を注ぎ、患者たちとともに治療論を構築しようとした。主体的な「確信」を志向した初期から最晩年のトラウマ的出来事への「確信」まで、患者の視点への同一化/脱同一化の運動を一貫して追及するところにフェレンツィの基本的臨床姿勢を見ることができる。

ワークショップⅡ『最初期の精神分析運動をめぐって』
井上卓也(東京大学)
佐藤朋子(金沢大学)
上尾真道(広島市立大学)
転移や抵抗を伴う他者との関係において「生きられる」ことでのみ、到達・伝達可能となる知——臨床から教育・訓練の場面に至るまで精神分析を特徴づけるこの知のあり方を、フェレンツィほど早くから洞察し、身をもって「生き抜いた」(ausleben)分析家はいないだろう。だとすれば、同時代に精神分析の発展に寄与した分析家や患者のネットワークを再構成し、彼をそこに位置づけることは、フェレンツィの遺産を再検討するうえで適切な準備作業となるだろう。このワークショップでは、二人の研究者がそれぞれの視点から精神分析史の断面を切り取りつつ、フェレンツィの功績に光を当てる。
井上の発表「実践のひそかな変遷——欲動理論の第二段階とその余波(1909-1921)」は、さまざまな患者の資料を参照しながら、おもに1910年代におけるフロイト、フェレンツィ、アブラハムらの実践を、この時期の理論的成果との関係において再考する。とりわけ、欲動理論の展開に伴って深められた自我についての認識が、抵抗のさまざまな形態についての理解、分析家の「積極性」、身体的な徴候への関心につながっていったことに着目する。フロイトによるAnna G. の分析(1921年4月-7月)あたりまでを考察の範囲に含め、古典的な技法論の枠組みにとどまらない実践の変遷を明らかにする。
 佐藤の発表「憎しみの回帰はなぜに——フロイトとフェレンツィ、二人のユダヤ人の対話」は、祖先のトラウマが遺伝によって個体に受け継がれるとするラマルク主義的観点がフロイトとフェレンツィによってどのように共有されたかを問う。これまでに注目されてきた共著論文の計画や各人による著作での相互参照(1910–20年代)においてだけでなく、陰性転移をめぐる1920年代末以降のフェレンツィの仕事、それをきっかけとして技法論上や病因論上で二人のあいだに生じた距離、そして1933年にフェレンツィに訪れた死を経たのちも、フロイトの著作においては最晩年の『モーセという男と一神教』(1939年)にいたるまで対話が継続された可能性を探る。

言葉の混乱──私たちがたどった道のり──
奥寺崇(クリニックおくでら、日本精神分析協会)
S・フェレンツィが残した遺産の一つ、 “言葉の混乱” 論文に関連して、フェレンツィの言説について3つの視点から考察する。
そもそもヒトが言葉を駆使するということにはどのような意味があるのだろうか。 身体感覚が皮膚という障壁(半透膜)を介して獲得する自己の認識と、他者性を介して自己を対象化するための道具としての言葉の存在には初めから齟齬(混乱)があるのではないか。
次に、“言葉の混乱”論文の重要な主張の一つである、患者が言葉を介し、すなわちメタサイコロジカルなコミュニケーションについて、治療者が無自覚に治療者自身のコンテクストで理解するという齟齬の問題が挙げられる。
 さらに、フェレンツィが書き残した、子どもが「狂った大人の精神科医になる」という臨床的な現象について、愛情に基づいた自己犠牲の観点から理解することができる。 狂った親はその苦しみを投影同一化を介して、受け手となる対象が自身の子どもであっても助けを求める。 問題なのは、子どもが投影同一化を駆使する親に同一化するにもかかわらず、受け手にとどまるよう強いられるというところにもある。 「強いられる」関係性がもたらす外傷体験のみならず、「愛と憎しみのworking through」の不在こそ子どもの情緒発達においても、臨床上でも最も困難なタスクとなるのである。

フロイトのレオナルド論と未完のヒステリー理論の行方
飛谷渉(大阪教育大学保健センター)
1910年に出版されたレオナルド論は、フロイトの精神分析概念の発展において重大な意義を持っている。この論考の価値は、フロイトがレオナルド・ダ・ヴィンチという天才芸術家の述懐する「ハゲワシ空想」という幼児期空想を夢解釈の方法に則って解釈を試み、少年だった自分が母親に愛されたように少年たちを愛するという「母親同一化による同性愛」、同性愛の一形態の概念化に成功したことにある。このハゲワシ空想は、乳児の口唇に尾を出し入れする鷲というイメージであり、それは男根と乳首の同一視という理解において自然に連結される。しかしながら、こうした授乳/フェラチオ空想における乳首と口、男根と膣という器官の空想的連結から、乳児/乳房という授乳カップルが性交する大人の男女カップルという連結に取って代わられるヒステリー空想が読み取れるはずだが、フロイトはそれを避けるかのようにレオナルドの情動抑制に関わる強迫性に注目するのみであった。
 この態度は不可解である。「母親同一化による同性愛」という発想には内的対象関係におけるダイナミクスとしてのナルシシズムが想定されるのであり、これは1910年にしてフロイトが、約35年後にメラニー・クラインが概念化する「投影同一化」という心的ダイナミクスに直観的に気づいていたことの現れとみなすことができる。ところが、続くフロイトのナルシシズム概念は1914年の「ナルシシズムの導入にむけて」において、対象関係論ではなくリビード理論へと展開する。この経路は甚く不可解である。ナルシシズム研究に関して、母親同一化を発見し、そこに情緒性(痛み)をめぐる内的対象関係をつかみかけていたのに、それを放棄して、欲動備給という量的出納の複雑なメカニズムを捏ね回す強迫性に陥るかのようである。内的対象関係の理論に関しては、「喪とメランコリー1917」において何とか掴み直すことができたものの、その背景において失われたままのものもあった。それこそが未完のヒステリー理論であったと私には思える。今回の論考では、レオナルド論文を紐解き、フロイトがレオナルド研究において、まさにレオナルドと同じく自身のヒステリー理論を未完のまま留め置くことになった要因を考察し、ヒステリー理論の現代の対象関係論による補完を試みたい。

〈委員会〉/カマリラ──フロイト的「対話」の夜から
立木康介(京都大学)
 フロイトの「遺産」との対話ではなく、フロイトの生前に本人と弟子たちのあいだで交わされた対話の断面を掘り起こしたい。アーブラハム、フェレンツィをはじめとする〈委員会〉のメンバーたちとフロイトとの個別の「対話」は、つねに〈委員会〉の影によって横断され、裏打ちされて、破損したり歪められたりしている。フロイトは〈委員会〉内部に複数の、ときに相反する伝達回路を同時に走らせることを拒まなかったばかりか、それを政治的に利用することも自らに禁じず、ときには迂闊な操作を試みては、あまつさえ、それによって生じる混乱の責任を他者に転嫁することすらあった。アーブラハムがフロイトに送った最後の書簡で、フロイトの振る舞いを「解釈」する必要があったように、これらの「対話」のうちに芽生え、増長していく諸々の軋轢や亀裂は、その意味でまさにフロイト自身の「症状」ではなかったか。〈委員会〉と同心円的な組織として発足したIPAによって「破門」されたラカンが、こうしたカマリラ的構造と無縁な集団=学派をめざしたのは、けっして偶然ではなかったのである。