第30回ワークショップ


 「非理性 、 文学 、 精神分析 ――1930年代 フランスの 思索 と 実践 」

 日時:2020年10月11日(日) 14時から18時
 場所:オンライン(参加方法は後日告知 いたします。)
 提題者:石川学氏 (慶應義塾大学専任講師)、
      上尾真道氏(京都大学人文科学研究所研究員
 コメンテータ:中田健太郎氏(静岡文化芸術大学専任講師)

 1918年の第一次世界大戦終結、 狂騒の時代と呼ばれる1920年代 ののち 、1929年 秋にウォール街で 起きた株価 の大暴落の余波のなかで始まった 1930年代はフランスにとって 苦境の時代であった。 経済的には1931年から深刻な不況に陥り 、そこから脱せぬまま 1939年に第二次世界大戦に突入することになった 。 また政治的不安定が続き 、小政党の乱立、疑獄事件、議会制民主主義に対する不信、 国粋主義団体や極右団体の活動の活発化(cf. 1934年2月6日の危機) とそれに対抗する左翼の結集 、人民戦線内閣の成立と挫折、 中道政党を中心と した連立内閣による政権運営等による状況の目まぐるしい 変化は社会不安の増大を伴っていた。 政治的社会的危機のなか、個人のうちに潜み、 大衆を行動にまで突き動か しもする 非理性的なもの(非合理なもの)は、少なからぬ数の知識人や芸術家にとって喫緊の関心事になった。 彼らの思索や実践は多様であっただけでなく 、ときとして 相互に対立し、 ときとして時局の要請に応 じて接点を模索 しあ うものであった。
 精神分析に関連する文脈では 、 1920年代初葉以来のシュルレアリスムによるフロイトの無意識概念の熱烈な受容、 その美学と作品を観念主義的と して指弾するバタイユの 批判 と別の仕方でフロイトに依拠した唯物論の構築 、シュルレアリストによる再批判 、 反ファシズムの旗印のもとで結成された行動組織コントル・アタックにおける両者の反目の部分的な解消と協力の試み 、その頓挫、バタイユとその友人たちによる社会学研究会や秘密結社アセファルの立ち上げなどが特筆される 。 その間ラカンはシュルレアリス トに接近し、 コジェーヴによる講義の場でバタイユと出会い、 コントル・アタックの初期の集まりに 会場として自宅を提供し、社会学研究会の会合に臨席した。本ワークショップでは 、思索と実践のこの錯綜を解きほぐしながら、若きラカンの選択をめぐる考察に向けて議論を開くことを試み る。提題者には 、『ジョルジュ・バタイユ――行動の論理と文学』(東京大学出版会 、2018年、 第7回東京大学南原繁記念出版賞受賞)に続 いて『理性という狂気――G・バタイユから現代世界の倫理へ』(慶應義塾大学出版会)を本年3月に上梓された石川学氏と 、『ラカン 真理のパトス――一九六〇年代フランス思想と精神分析』(人文書院 、 2017年)ほかラカンやフランス現代思想について多数の著作や訳書をものしておられる上尾真道氏を 、コメンテータには 、 『ジョルジュ・エナン――追放者 の取り分』(水声社 、 2013年)をはじめとする著作や『思想』『ユリイカ』『水声通信』『現代詩手帖』 等でシュルレアリスムについての論考を精力的に発表されてきた中田健太郎氏をお迎えする。


意識化のプロセスをめぐって
  ――ジョルジュ・バタイユにおける 「 異質学 」 と 「 聖社会学 」
石川学(慶應義塾大学専任講師)

 意識化を免れるものを意識化するための方法 の問いは、とりわけ第二次世界大戦以前のバタイユの中核的な思想課題をなしている。その顕著な事例である「異質学( hétérologie)」の企ては、「フランス社会学」「現代ドイツ哲学(現象学)」「精神分析学」を発想の拠り所としていた論考 「ファシズムの心理構造 」、 1933–34年 )。後年の「 社会学研究会 」( 1937–39年)の主題である「聖社会学( sociologie sacrée)」もまた、これら諸学への新たなる依拠から紡ぎ出されている。学知を手立てとした意識化のプロセスは、バタイユにとって、個々の存在に加 え、社会を変革する壮大な目論見に結ばれるものだった。本発表では、こうした視座のもと、 30年代のバタイユ思想の展開を捉え直すことを試み る。

《非理性的間隙 》 ――精神分析 と 生成変化
上尾真道(京都大学人文科学研究所研究員)
1930年代、ラカンがシュルレアリスム運動 に接近したことは知られているが、なかでも興味深い成果として、 1933年にシュルレアリストの雑誌『ヌゥィの灯台』に発表した「非理性的間隙 hiatus irrationalis」という題の 14行詩があげられるだろう。そもそもは 1929年の哲学者 F.アルキエへの手紙に添えられていたこの詩は、ヘラクレイトスの思想をめぐって書かれたもので、そこには夢、欲望、存在といった鍵語がすでに 用いられている。本発表は、ラカンの文筆のほとんど始まりに位置するこの詩を手がかりとしながら、戦間期フランスにおける哲学×芸術 ×神秘思想の文脈の交錯について振り返り、ラカンの知的発展の出発地点を再構成することを試みたい。

以上