第29回ワークショップ

日本ラカン協 会第29回ワークショップ

*2020年7月5日(日)に開催を予定して おりました、日本ラカン協会第29回ワークショップは、新型コロナウィルスの感染拡大の現状を鑑み、開催延期を決定いたしました。新たな開催時期としまし ては、2021年の年明け以降を検討しております。
新たな開催日時・開催方法については、決定で き次第、本HPにて【あるいは、本MLにて】あらためて告知致します。

    精神分析と人類学

  日時:2020年7月5日(日)14:00〜18:00 開催延期(2021年の年明け以降)
   場所:大橋クリニック
         (〒464-0075 愛知県名古屋市千種区内山3-25-6
                                IKKO千種ターミナルビル3F Tel:052-732-2773)

  参加費:無料
  提題者:岡安 裕介氏(京都大学人文科学研究所)
       牧瀬英幹理事(中部大学生命健康科学 部) 
   司会:小林芳樹理事(大橋クリニック/北山精神文化研究所)
 
 日本ラカン協会の年間テーマ「ラカンはいかにしてラカンとなったか―精神分析家ジャック・ラカンの生成と展開」の一環として、本ワークショップでは主に 1950年代のラカンと人類学との接点に焦点を当てる。

 レヴィ=ストロースが論文「神話の構造(1955年)」の中で述べているように、神話は同じ要素が繰り返し、しかも変形して登場する。神話の意味方向 は、様々な形でそのつど変形されて現れる類似した諸要素の重なりに出現し、ある種の路程が完遂される。それらの要素を単純に一本の線の上に並べることは不 可能であり、楽譜のように複数の線の上に並べざるを得ない。こうして縦方向にも横方向にも読解可能な一連の継起が得られ、初め還元不能に見えたものが事後 的にシステムに統合され、意味が生成する。

 一方ラカンはセミネール「対象関係(1956〜1957年)」で、フロイトの症例ハンスを再解釈した。固有の法を備えたシニフィアンの働きが主体を占領 し、主体自身が知性化できるものすべての彼方で主体を捉える。神経症の患者は、自らの周りに配備され組織化され築き上げられる装飾物、という症状の中に少 しずつ入って行くが、それは彼がこの装飾物を展開するというより、むしろ彼がそれに捉えられる。ここでは神話について構造研究を要した様な、独立したメカ ニズムが関わっている。すなわちシニフィアンのいかなる要素も、現れてくる他の要素、前出の要素を露わにする他の要素と切り離して考察することはできな い、ということである。つまり他の要素は、一連の対置の平面で組み合わせの序列で、前出のシニフィアン要素を展開している、ということであるが、このメカ ニズムは妄想形成でも作動している。

 ラカンにおいて構造とは、「純粋にシニフィアンのみからなる結合が、その結合が生じる現実の中に引き起こす諸効果」の総体を秩序づけるものである。
構造という考え方はフロイトの仕事全体に一貫しているものである。構造は、心的生活の構造的諸関係と言われるように、これら諸システムを活性化する力動に 関与し、ハンス症例に見たように症状形成にも関与する。
 ラカンは、フロイトにおける構造的連関を絶えず強調したが、構造という用語を独自な意味で用いたのはレヴィ=ストロースである(ソシュールの言語学の構 造的諸原理を人類学に適用した)ことを認めていた。

 レヴィ=ストロースの著書「親族の基本構造(1949年)」を巡って、ラカンが彼と議論した際、彼は親族の基本構造の交換法則に現れる様々な例外、パラ ドックスは、親族関係の外部にある準拠点、政治的文脈、権力の秩序、つまり非・自然なシニフィアンの秩序に起因しており、それはエディプス・コンプレック スにおけるファルスの経済的重要性に関わる、と返答している。提題者・岡安氏は、精神分析と人類学の接点を押さえた上で、エディプス・コンプレックスに着 目し、レヴィ=ストロースがラカンに与えた影響について論じる。

 どんなシニフィアン要素も、対象、関係、症状も、例えば神経症において一義的射程を持っているとみなすことはできない。シニフィアン要素はいかなる対 象、いかなる関係、いかなる想像的活動とも等価ではない。いわゆる心理臨床現場で用いられる対象関係という概念は、想像的活動を基盤とし、主体の生におけ る規範的なもの、発達論的なものを含意しているが、それらは分節化され得ない。むしろ患者が分節化された形で示してくれたものが、混乱した欲動、特殊な情 緒運動や躍動に心理学的に還元されてしまう。
 ラカンは構造の概念によって、フロイトの発見の真の意義を解釈学的、心理学的逸脱から、社会適応の要求に応える単純な図式から守ろうとした。彼は小児期 の出来事によって症候を説明したり、単純に線的な時間軸の実際の出来事を症状の原因としない。フロイトが取り出した「事後性」の効果の下、分析家が与える シニフィアン的切断から分析主体はその論理的構造を受け取り、主体が切り出されると考えた。
 もう一人の提題者・牧瀬氏は、ラカンとレヴィ=ストロースの関係を総括し、ある精神病者の症例を取り上げ、両者の接点を生かしながら治療を行うことの意 義を論じる。
 日本における精神科・心理臨床現場における現状は、1950年代のラカンを取り巻いていた国際的な精神分析動向と重なり合うだけに、牧瀬氏の発表は意義 深いものとなろう。
(小林芳樹)



エディプスをめぐる人類学の思想
岡安裕介(京都大学人文科学研究所)

 エディプスをめぐる人類学の思想から、精神分析は何を得るのか。
 フロイト以来、精神分析は人類学と密接な関わりを持ちながら展開してきた。文化はエディプス・コンプレックスから始まったとする学説も、それに対する反 論も、人類学の知見に基づいて提示されてきた。そして、エディプス・コンプレックスはシニフィアンの導入であるとの読み換えをもって、この論争に終止符を 打ったのはラカンであるが、その背景にも人類学、すなわちレヴィ゠ストロースの思想が横たわっている。今回のワークショップでは、エディプス・コンプレッ クスに焦点を合わせ、精神分析における人類学的視点の意義を問い直したい。

如何にして分析における転回点を捉え、介入することが可能となるのか
−ラカンとレヴィ=ストロースの理論的接点をもとに考える−
牧瀬英幹(中部大学生命健康科学部)

「ある時、私は、次のような経験をした。私は、自分の臨床経験が一つの結論を迎えていたある時期に、人呼んで、ラカンの短時間セッションなるものを実践し ていた。そのときに、ある男性主体から、帝王切開によってそれを解決するという夢とともに、肛門妊娠の幻想を明らかにされたことがあった。そのセッション の持続時間は、この幻想の開示にちょうどよいものであった。もしそうでなかったら、私は、ドストエフスキーの芸術に関する彼の長広舌をさらに聞き続けてい ることになっていただろう」。
 ラカンはこのように述べることで、「話が生まれ出ずるようにするためにこそ、語らいを切る」技法としての短時間セッションが、主体の誕生や自己規定を巡 る「急き立て」の聴取とその語らいの切断によって実践されるものとしてあることを示していると考えられるが、主体の内面におけるリズム、時間的転調を如何 に捉え、介入するかという点は、神経症的構造の主体のみならず精神病や自閉症的構造の主体の分析においても重要な問題としてあるように思われる。例えば、 ビオンは、子どもを助けようと川に飛び込み、そのまま地底へと落ちていく水路の方に流されていってしまった夢を報告した後、意識を失ったような状態となっ た精神病の患者に対し、「間違った解釈をして、彼をその大事な分岐点で、間違った方向へと向かわせてしまった」と述べている。このことは、精神病的構造の 主体の分析における、上記の重要性を示唆するものであろう。
 では、分析における転回点を適切に捉え、介入するためには、どのようなことを心がける必要があるのだろうか。この問いと向き合うに当たっては、主体の内 面におけるリズム、時間的転調を生み出すものとしての主体と言語との関係性、さらには、その関係性を支えるものとしての神話や描画、トポロジーの問題を改 めて問い直すことが求められるように思われる。本発表では、このような問題意識のもと、ラカンとレヴィ=ストロースの理論的接点を考察するとともに、そこ から得られた知見の有効性を、臨床事例を通して明らかにしたい。

以上