第28回ワークショップ

日本ラカン協 会第28回ワークショップ

  日時:2019年10月6日(日) 14:00〜18:00
  場所:京都大学 人間・環境学研究 科棟3F、333教室
 
  参加費:無料
  提題者:比嘉 徹徳 氏(神奈川工科大学非常勤講師)
              藤井 あゆみ 氏 (同志社大学グローバル・コミュニケーション学部嘱託講師)
   司会:松本 卓也 理事(京都大学大学院人間・環境学研究科)

   精神分析が精神医学やその他の精神療法(心理療法)とは異なるのは、フロイト自身も「精神分析運動の歴史のために」という論文を書いていることからもわか るように、それが「運動」として展開されてきたという点にある。その初期には医学の側からほとんど理解されなかった精神分析は、徐々にウィーン以外にも広 がりをみせ、1910年ごろからようやく地方組織を擁する国際的な「運動」としての形をとるようになった。しかし、当時においても「性」の重視という根本 的な論点に関してユングらとのあいだに鋭い対立が存在しており、そのため精神分析運動にとって最初の課題となったのは、自らを根底から基礎づけなおすこと であった。そこには、精神分析がフロイト自身の「自己分析」という、通常ならば基盤たり得ないものを基盤としているがゆえの困難があったと考えられる。ま た、第一次世界大戦の経験を経たフロイトは、精神分析を集団現象にも盛んに応用していくことになる。これらの一連の流れは、運動の世界的な広がりのなか で、各地の社会的文脈とも絡み合いながら展開していった。たとえば、フランスのラカン派では、精神分析(家)それ自体の基礎づけ(権威付け)と集団の問題 は、〈精神分析家とは何か?〉〈精神分析にとって学派とはいかなるものであるべきか?〉という原理的な問いとして展開されていくだろう。
 本ワークショップでは、上記のような多様な論点を孕む「運動」について、特にウィーンとベルリンのそれに焦点をあてる。ウィーンについては、『フロイト の情熱――精神分析運動と芸術』(以文社、2012年)において「精神分析運動の歴史のために」をはじめとするフロイトの論考を精緻に読み解いた比嘉徹徳 氏が、ベルリンについては、『メランコリーのゆくえ――フロイトの欲動論からクラインの対象関係論へ』(水声社、2019年)においてフロイトからアブラ ハム、ラドーを経てクラインに至る精神分析史を総体的に論じた藤井あゆみ氏が提題する。
 松本卓也

精神分析運動と「実直の倫理」 
比嘉徹徳(神奈川工科大学非常勤講師)

  本発表では、初期の精神分析運動で交わされた倫理および道徳をめぐる議論を取り上げる。精神分析は科学であるとフロイトは一貫して主張したが、他方で、そ の倫理的な含意について、それを積極的に捉えようとするフェレンツィやプフィスターらと書簡の中で幾度も論じている。フロイト自身の考えはこうした議論の 中で次第に明確にされていく。精神分析とは「自分自身を真理に向けて教育していくこと」(『精神分析入門講義』)とフロイトが述べたことを手がかりに、フ ロイトにおける精神分析の倫理について近年の議論も参照しつつ考察したい。


ベルリンの養成システムは標準化される
                                                ―ベルリン精神分析インスティテュートの光と影
藤井あゆみ(同志社大学グローバル・コミュニケーション学部嘱託講師)

  1920年、ベルリンに世界初の精神分析インスティテュートがカール・アーブラハムとマックス・アイティンゴンによって創設された。外来診療所と教育施設 を兼ねたこのインスティテュートが設立されて初めて、理論と実践、教育と研究のあいだに緊密な連係が生み出されたと言われている。ここで作成された分析家 の養成課程は、いまなお世界中のインスティテュートの一つの雛形となっている。また、この養成課程からは、ユニークで優れた分析家たちも多数輩出した。し かしながら、他方で教育分析家の権威的地位というものも生み出されてしまったのではないだろうか。今回のワークショップでは、当時のベルリンの養成課程お よび分析家たちの活動を概観したのちに、その問題点を俎上に載せたい。


以上