第26回ワークショップ

日本ラカン協 会第26回ワークショップ

 ラカンと精神分析の68年5月

 日時:  2018年10月28日 14 : 00〜17 : 30
 場所:  専修大学神田校舎7号館731教 室
    (〒101-8425 東京都千代田 区神田神保 町3-8)
   参加費:無料
 提題者:工藤 顕太 会員(早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程)
      小林 芳樹 理事(国立病院機構 東尾張病院)
   司会: 立木 康介 理事(京都大学人文科学研究所)

 1973年11月1日から4日にかけてモン プリエで開かれたパリ・フロイト派(EFP)総会に出席したジャック・ラカンは、終始上機嫌だった。会期二日目の午後、「パス」をテーマに交わされる討論 の口火を切ったラカンは、この制度的装置を自らが唱った1967年10月9日の「学派分析家にかんする提案」をふりかえり、それが周囲に受け入れられるに はまだ機が熟していない、それどころか、そんな提案を行えば破局的な結果が降りかかるにきまっていると、当初からはっきりと予感していたことを告白する。 にもかかわらず、彼は同年夏のヴァカンスを切り上げて書き上げたこの「提案」を即座に、だから新学期が始まってまもない10月に、学派に問わずにはいられ なかった。それはなぜなのか、自分はどうしてもっと待つことができないのかと、ラカンは当時、自問していたという。だが、彼はやがて答えを見出した── 「なぜ1967年10月にあの提案を行ったのか、私が理解したのは1968年5月だった。おわかりのとおり、私が同じ提案を1968年5月に行っていた ら、「あいつは誘導されたのだ〔il est induit〕!」と言われたにきまっている。私は誘導などされない。私はけっして誘導されない。私は生産されるのだ〔je suis produit〕。」
 この述懐には、1964年に自らの手で設立 したEFPの制度的支柱となるべき「パス」が、68年5月という特異な出来事とのあいだもちえた関係についてのラカン自身による評価が、ある種のアイロ ニーを伴って見事に言い表されている。67年10月9日に提案され、組織内に無数の動揺を走らせながら、69年1月25、26日に採択された「パス」の導 入は、これらの日付からも窺えるとおり、68年5月とシンクロする出来事だった。いや、従来の精神分析組織の頂点に立つ「教育分析家」の地位を崩壊させ、 分析経験の「伝達」の方向を完全に逆転させる「パス」の仕組みと手続きが、事実上、1920年代に国際精神分析協会において整備された伝統的な精神分析家 育成=訓練制度を根底から覆す試みであったことを考えれば、当時、精神分析の世界でラカンが生きていた歴史的状況そのものが十分に革命的であったと言わな くてはならない。つまり、「パス」採択に向けた一部始終は、ラカンにとってひとつの革命的闘争であり、ラカンの「68年5月」そのものだったのだ。
 しかし、フランス社会における革命の風はい つしかやみ、変革への期待はやがて失望に変る。1969年12月、ヴァンセンヌ実験大学センターに集う学生たちと対話したラカンは、「諸君はこの体制の奴 隷役を演じる。諸君にはそれがどういう意味であるかも分かるまい? 体制が諸君に見せてくれるよ。「あいつらときたら享楽してやがるぞ」と言って」と冷ややかに告げることをためらわなかった。68年5月の挫折に、ラカンは 欲望の(心的)経済の終焉と享楽のヘゲモニーの到来を見たのだろうか。肝腎のパスについても、73年にはまだ余裕を見せていたラカンは、78年にはこう結 論づけたのだった。「唯一重要なものはパサンであり、パサンとは私が立てている問い、すなわち、ある人の頭のなかにどういうことが起これば、自らに依拠し て分析家になろうと思うのか、という問いだ。私は証言が手に入ることを望んだが、当然のことながら、ひとつたりとも出てこなかった。それ〔分析主体の分析 家への移行〕がいかに生じるのかについての証言などというものは。いうまでもなく、完全な失敗だった、このパスというやつは」と。これが80年のEFP解 散に直結したことは私たちの知るとおりだ。
 「68年5月」は、いわば、精神分析の外と 内で同時に起きた出来事だった。その前後で何が変わり、何が生まれたのだろうか。その挫折は何を意味し、いかなる帰結をもたらしたのだろうか。半世紀後の 機会に、二人の論者と考えてみたい。
(参考:立木康介「ラカンの68年5月──精 神分析の「政治の季節」」、市田良彦・王寺賢太編『現代思想と政治』平凡社、2016)

見果てぬ夢、たったひとりで目覚めること
 ―制度と出来事をめぐるラカンのいくつかの洞察―

 工藤顕太
「68年5月」の未完の革命と、「破門」以降 ラカンが身を投じていた孤独な闘争。両者の錯綜から浮かび上がってくるのは、革命の名のもとに繰り広げられるプロセスそのもののうちに、その担い手たる主 体たちを「制止」させ、当の革命を座礁させる何かが宿っている、というアポリアではないだろうか。独自の新制度パスの機能不全というかたちで晩年のラカン をとらえたのも、まさにこのようなアポリアだった。しかし、ラカンがパスに託した精神分析の革命は、複数のラカン派組織において今なお引き継がれている。 したがって本ワークショップでは、パス構想を軸としたラカンの68年前後の仕事と、それにかんする今日の分析家たちによる「解釈」を参照しつつ、精神分析 における制度と出来事という主題に取り組んでみたい。

Evidenceではなく experience
 小林芳樹
 自らの精神分析理論を証明する機会も与える はずであったパスの制度は、ラカンの生前にその本来の機能を果たすことはなかった。ラカンの思想が時代精神を先取りしていたからかもしれない。ミレールは 当初、純粋精神分析に重きを置きすぎた晩年のラカンに批判的な態度を取っていたが、現代の時代精神を背景にして、1967 年10月のラカンの精神に回帰しつつある。Evidenceや科学主義が隆盛する今日、ラカン学派における50年に及ぶパスのexperienceを検証 することによって、人間存在の倫理を浮き彫りにする。

以上