提題
久保田泰考(滋賀大学保健管理センター)
「もし言説がなければ、ヒステリーはないのだ
ろうか?」
数年来ニューロサイコアナリシスの観点から、ヒステリーの神経科学的基盤について考えてき
たのですが、やはり言説という構造なしに脳・神経だけからヒステリーが片付くわけはありません(当たり前ですよね)。というわけで、当日は自閉スペクトラ
ムや解離性同 一性障害の事例の経験も交えつつ、ヒステリーの言説について検討を深めたいと思います。
小林芳樹(東尾張病院精神科医師)
「ヒステリーと狂気のあわい(間)」
精神病と神経症の境界の見極めが困難になってきた背景として、精神病の軽症化と同時に、提題
者は神経症が精神病に接近してきている側面も日常臨床を通じて感じている。この仮説を踏まえて、ワークショップでは2症例をラカン理論に依拠して提示す
る。1例目は、当初ヒステリーと診断していたのが、治療が進むにつれてパラノイア構造(治療者が恐怖を感じるほどの転移性恋愛妄想、社会的紐帯からの孤
立)が明らかとなり、治療方針の変更を余儀なくされたケース。2例目は、当初メランコリーの診断の元治療を行っていたのが、やがてヒステリーの構造が隠れ
ていることが明らかとなり、この構造を考慮に入れない限り治療が進展しないことを思い知らされたケース。 結局
1例目はヒステリーというよりも社会的紐帯から孤立したパラノイアのケースであり、2例目は慢性的に抑うつや希死念慮を訴えながらもメランコリー者のよう
な切迫性はなく、むしろエディプス葛藤が中心で、社会的紐帯ともしぶとくつながっているヒステリーのケース
である。これら2症例を通じて、今日におけるヒステリーを考察する好機としたい。