日本ラカン協会第5回大会研究発表要旨 お茶の水女子大学大学院博士課程  河野 智子 分析家デュパンの道徳性―「法則」と無意識をめぐる考察  本発表の目的は、エドガー・アラン・ポーの「盗まれた手紙」、「モルグ街の殺人事件」、「マリー・ロジェの謎」という三つの探偵物語に登場するデュパンに視点を当てながら、彼が聡明な頭脳で事件の謎を解明する天才的な分析家であるのは、道徳性を備えているからである、と論じることである。分析家デュパンは、限定的な思考をせず、科学的計算に基づく知性を「法則」の範囲を超えたところにまで及ばせる「真に想像的な」天才である。デュパンの分析が超自然的であると感じられるほどに優れているのは、直観で分析を行うからではなく、数学的「法則」を「理解しがたく不可解なもの」に応用しながら分析しているからである。  デュパンに匹敵しうるほどに優れた頭脳を持っているのが、「盗まれた手紙」に登場する大臣である。彼は警視総監が太刀打ちできないほどの天才でありながら、最終的にデュパンに打倒される。大臣の能力とデュパンの能力に差があることは間違いないが、それは単なる程度の差であろうか。ポーは『マージネリア』に「最も素晴らしい天才は最も高尚な道徳的高潔さに他ならない」と記し、真の天才とは道徳性を持つ人物であると主張している。デュパンが大臣よりも優れた天才であるのは、彼が「最も高尚な道徳性高潔さ」を備えているからではないだろうか。数学者でありながら詩人でもある大臣は、数学的「法則」を理解しながらその限界を超えることができる、「法則をもたない」"unprincipled"天才である。しかしこの "unprincipled"という語には「不道徳な」という意味もある。実際、大臣は王妃の手紙を盗んで王と王妃との契約を侵害する「不道徳な」人物である。ラカンが指摘するように、王と王妃は、男と女を結びつけている契約を最大限に具現化した「重大な契約の象徴」である。道徳性を備えているデュパンは、大臣の「不道徳な」行為を許せず、真に天才的な分析力を用いて、大臣を政治的破滅に陥らせる。  しかし正義感に溢れていたはずのデュパンが手紙と引き換えに謝礼を要求してそれを受け取る時、それまでの超然とした道徳者としてのデュパンの印象が薄れてくる。そもそも分析家とは、患者が語るドラマに自らが陥ってしまうことを避けるために、金銭を受け取るものである。従って、デュパンが謝礼を手にして手紙を手放した瞬間、明晰な天才分析者の役割を降り、手紙が織り成す一連のドラマから脱出していると思われる。この手紙は「所有者に力を与える」ものであるが、ラカンはそれを無意識の力であると理論付ける。手紙が登場人物の間を循環するとき、それぞれの人物は各自の無意識の照り返しを受け、別の人間の役を演じることになる。手紙が体現する無意識の作用によって、大臣は「恐ろしい怪物」の役を演じ、デュパンは明晰な分析家を演じることになる。  デュパンが天才的な分析者を演じるとき、彼は無意識のうちに道徳性の源ともいえる「法則」を参照していると思われる。ポーは「マリー・ロジェの謎」で、価値の高い発見は「付随的で偶発的な出来事」によって生じると説明しているが、デュパンが参照する「法則」はいわゆる数学的な「法則」ではなく、「すべての偶発性を包含する」ように作られた、「神の意志」を持つ、「神の法則」である。この「法則」を理解するデュパンは、「偶然によって生ずる発見」を考慮して思考に大きな余地を残すことによって、真に天才的な分析者となる。これに対し、「法則をもたない」大臣は、この「法則」が含み持つ偶発性に打ち負かされてしまう。最も素晴らしい天才になるためには、最も高尚な道徳性を持つことが必要であり、その道徳性を身につけるためには、偶発性を含む「神の法則」を理解することが重要である。